有喜屋 三代目店主 三嶋吉晴
三嶋吉晴は1956年 有喜屋 三代目として京都の五花街のひとつ先斗町に生まれます。
小学生の頃から店の出前を手伝い、先斗町の芸奴さんや女将さんたちから“おだちん”をもらったりしていたようです。
しかし成長期が日本の経済成長と重なったこともあり、将来の関心は店の承継ではなく、ホワイトカラーに傾きます。
そして商業高校卒業後は経理専門学校に進学し、簿記検定2級などの資格を取得します。
そうした勉強によりビジネス感覚が芽生え、京都では皆無に近い状況だった“手打そば”に家業発展のチャンスがあることに気づきます。
専門学校を卒業する1977年に名店での修業を決意。東京・上野「薮そば」に入店します。
師事したのは、誰もが稀代の名人と認める鵜飼良平氏でした。
「通常10年を要する修業だが、そば屋の跡取り息子をそれほどながく預かるわけにはいかない。人の4倍働き、3年で技の高みに達しなさい」
鵜飼師匠の言葉のとおり、手打ちの技を3年で修めて1980年に帰京。三嶋吉晴は二代目の父から「有喜屋」を受け継ぎ、三代目店主となります。
その後も手打ち技の研鑽を続け、1986年に調理技能士(労働大臣免許)を取得。
1998年には有志と 京都府麺料理調理技能士会を設立すると共に、鵜飼師匠に流派名称を授かった「有喜蕎心流そば打ち塾」を開講します。
こうして少しずつ、うどんが主だった京都の食文化に“そば”を根づかせることが、三嶋吉晴のライフワークになっていきます。
そうした尽力が評価されはじめ、2003年には京都府優秀技能者表彰「京都府の現代の名工」を最年少(当時46歳)で授彰、2007年には社団法人全国技能士連合会・麺料理部門の日本第一号「マイスター」に認定されます。
そして2011年には、そば職人としては全国で初めて、厚生労働大臣より卓越した技能者に与えられる「国の現代の名工」を受章し、その2年後の2013年には、天皇陛下より「黄綬褒章」を、2019年には「藍綬褒章」を拝受するに至っております。